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================================================ No.036 2002/10/07 ===

  W E B  D E S I G N E R S  M A G A Z I N E  G A U Z I N E

   [COVER] http://www.gaucho.com/gauzine/gallery/021007.html 

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                        配信部数:6,075部
『GAUZINE』 No.036 のラインナップ
 ┃
 ┣『映像作家研究ファイル』
 ┃ 「喪失がもたらすもの〜アトム・エゴヤン」
 ┣『ちょっと知っておきたいコミュニケーションデザイン』
 ┃ 「いいWebデザインを考えよう〜『わかりにくさ』の裏を知る〜」
 ┗『編集後記』「11'09''01/セプテンバー11」

 
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『映像作家研究ファイル』 vol.23
  「喪失がもたらすもの〜アトム・エゴヤン」 
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『映像作家研究ファイル』は、ブロードバンド時代に対応していくスキル
としての「映像表現」について探求していく企画です。

◆ カナダを代表する映像作家〜アトム・エゴヤン
┣ http://www.egofilmarts.com/http://www.egofilmarts.com/photo.html (Photo of Atom Egoyan)

■ 喪失感を抱えて生きる人々を描く

人は何かを失ったとき、悲しみを感じます。特に失ったものの存在が大きい
ときほど、その悲しみはいつまでもつづき、心の底に残っていきます。

人間の喪失感が生み出す心の葛藤や試練は、人間が成長していくプロセスに
おいて、必要な出来事なのかもしれませんが、人によっては、その喪失感の
重みや大きさに耐えきれず、自らその喪失に同化してしまおうとする人もい
ます。

アトム・エゴヤンの三部作
 「エキゾチカ」(1995)
 「スイート・ヒアアフター」(1997)
  http://www.sankei.co.jp/mov/review/98/sweethereafter/
 「フェリシアの旅」(2000)
  http://www.eiga.com/review/felisia.shtml

は、そうした「人が何かを失うこと」によってもたらされる感情の変化や
動きを丹念に描きながら、人間の喪失感がもたらすものの大きさを考えさ
せてくれます。

「喪失」という出来事は、時には残酷で不条理なものとして、人々に悲しみ
を越えて、怒りや憎しみといったネガティブなエネルギーを生みだすことも
あります。しかし、それらは失ったものに対する「愛情」が裏返しにされた
ものであり、プラスのエネルギーが「喪失」をきっかけにしてマイナスにひ
っくり返されたとも言えます。失ったものに対する愛情が深ければ深いほど、
悲しみや憎しみが増幅していくのも、そうした感情のエネルギーの大きさが
関係していると思われます。古今東西の愛憎劇は、こうした人間の感情のも
つエネルギーの逆転現象を描いているともいえます。

アトム・エゴヤンの作品には常に愛する家族を失った人々が登場してきます。
「エキゾチカ」では愛する娘を殺害された男、「スイート・ヒアアフター」
ではバスの転落事故で子供を失った両親、「フェリシアの旅」では母親の死
を乗り越えることのできない初老の男など、愛するものを失った悲しみや憎
しみを心に抱えながら生きる人々のさまざまな姿が描かれています。

喪失によるショックで、全く生きる意欲を失ったしまう人や、喪失による
孤独感を癒すために別の対象にのめりこんだり、喪失したことを忘却しよう
としてあらゆる方法をとりながら、なんとか立ち直ろうとするのですが、
人間なかなかそう簡単には立ち直れないものです。逆に、そこが人間らしい
ところだとも言えるのですが、生きていく以上、なんとかその喪失感と折り
合いをつけていかなければならないのが、人間の宿命なのかもしれません。

「スイート・ヒアアフター」に登場する中年の弁護士は、麻薬中毒の娘との
断絶感にさいなまれながらも、バスの転落事故で愛する子供たちを失った両
親のところに出向き、訴訟を起こすよう一人一人説得していきます。
そのエネルギーは、生きながらにして娘を失ったしまった父親としての自分
想いを、子供たちを失った両親に転化させ、その悲しみや憎しみを訴訟相手
にぶつけようとする、ある種、屈折した行動として描かれていきます。

悲しみや憎しみはある種のエネルギーとなるので、ときに人に大胆な行動を
とらせることがあります。しかし、悲しみや憎しみから生まれた行動は、
どこか破壊的で、多くの場合、本人や周りの人々に決していい結果はもたら
しません。一時的に解決され、本人の気がすんだとしても、放たれた
マイナスのエネルギーは、いつかまた自分のところに戻ってきてしまいます。
「スイート・ヒアアフター」でも、最後に少女の小さな嘘が大人たちのもく
ろみを一瞬にして崩してしまいます。

喪失によるショックから回復するには、「癒し」というプロセスが必要であ
り、そのためにはやはり「愛情」が必要不可欠な存在であるともいえます。
これは「喪失から再生へ」というもうひとつの大きなテーマにもつながって
いくので、また別の機会にじっくり考えていきたいと思います。


■ アトム・エゴヤンの映像スタイル

アトム・エゴヤンの作品は、一筋縄ではいかない緻密で複雑なストーリー
構成をもっています。時間軸は決して、直線的に流れず、現在と過去を
行き来しながら、複雑に時間が交錯して、積み重ねられていきます。
また、登場人物の設定や人間関係も、前半は全く見当がつかないまま、
後半に進むにつれ、ようやくそれらの関係がつかめてくるというような
重層的な構造や非直線的なストーリー展開など独特のアプローチをとって
います。それゆえ観る人によっては、物語はわかりにくく、見終わったあ
との感情のカタルシスにも欠けた、あまり面白くない作品、と、とらえら
れてしまうこともあるようです。

しかし、「スイート・ヒアアフター」は1997年のカンヌ映画祭でグランプリ
を獲得していますし、同年のアカデミー賞でも、監督賞と脚色賞にノミネ
ートされるなど、世界的にも高い評価を得ています。エゴヤン自身も海外
の映画祭の審査員などもつとめるなど、同じくカナダ出身のデヴィッド・
クローネンバーグとともに、ある種の世界的巨匠として高く評価されてい
る映像作家ともいえます。

アトム・エゴヤンの映像スタイルで個人的に好きなところは、そのゆった
りとしてカメラワークと緊張感のある会話のシーンです。ストーリー展開
は常にミステリアスで、ある種のサスペンスに満ちているため、先の展開
がまったく読めない緊張感や謎解きときの楽しみや、ときおり見せる限り
なく美しい映像美も見ものです。

最近、個人的に思うには、簡単に作者のメッセージが理解できてしまうよ
うなわかりやすい作品よりは、何が言いたいのがわかりにくいけど、その
プロセス自体で何かを伝えようとしている作品のほうが、深みや現実性を
感じさせます。

真実というものは、実際のところひじょうにわかりにくいものだと思いま
すし、映像表現というのも、そういった微妙な真実のニュアンスを伝えよ
うとすればするほど、抽象的でつかみにくいものになっていくような気が
します。娯楽性と芸術性のバランスをどこにおくかは、制作者自身の判断
であり、その判断をどうとらえるかは観客の自由意志で、はたしてそこに
共感や感動が生まれるかどうかは、情報伝達やコミュニケーションにおけ
る永遠の課題ともいえます。


■ 人間の喪失感をテーマにした作品〜「まぼろし」と「サイン」

今回は「喪失がもたらすもの」というテーマで、アトム・エゴヤンの作品
や映像スタイルについてご紹介してきましたが、実はこの「喪失」という
テーマは、これまでにも数多くの映像作品の中で使われてきた普遍的な
テーマともいえます。最近観た作品の中でも、この「人間の喪失感」をモ
チーフにしたものが何本かあったのでご紹介することにします。

まずは、フランソワ・オゾン監督の「まぼろし」。
http://www.cinemarise.com/
http://www.francois-ozon.com/
先日東京に出張に行った際に、渋谷のシネマライズで観てきたのですが、
この「まぼろし」も、まさに「愛するものを失うこと」が、人間にとって
いかに大きな影響を与えるか、ということを考えさせる作品でした。

結婚して25年になる50代の夫婦、ヴァカンスに訪れた海岸で突然、夫の姿
が消えてしまいます。事故なのか、失踪なのか、自殺なのか、遺体も見つ
からず、妻は夫の生死もわからないまま途方にくれた時間を過ごしていき
ます。そうした状況の中、人間は一体どういった行動をとるのか、また
その喪失感とどう折り合いをつけていくのか、をシャーロット・ランプリ
ングの抑制されながらも円熟した迫真の演技と、撮影当時まだ33才の
フランソワ・オゾン監督のクールで繊細な演出で見せつけられます。

もうひとつは、M.ナイト・シャマラン監督の「サイン」。
http://www.movies.co.jp/sign/
「サイン」は、突如出現したミステリーサークルをきっかけに、得体の知
れない何かが家族を襲ってくる恐怖を描いたスリラー作品ですが、もうひ
とつのテーマとして、人間の信仰心についても描いています。
メル・ギブソン演ずる主人公は、妻の交通事故死により信仰を失い、牧師
という職を捨てます。「妻の喪失」が元牧師の主人公の心に何をもたらし、
それがどう自分や家族に影響していくのかという、まさに「喪失がもたら
すもの」を娯楽スリラーという形に仕上げた作品ともいえます。

このように「喪失感」は、人生において避けては通れない一見不条理な
試練のようにも思えますが、その試練をどう受けとめ、どう対処し、自分
の中でどう折り合いをつけていくかが、その人の今後の生き方に大きな影
響を与えていく、という主題を一連の作品の中から感じました。

考えてみれば、日常生活も、常に何かを失ったり、何かを得たりの連続の
ようにも思えます。仕事をすることによって、収入を得ることができます
が、その反面、自分の自由な時間を失っていたり、生きることは、いろい
ろな経験を得ることですが、反面その残り時間を少しづつ失っていること
にもなるわけです。目に見える世界は、永遠ではないからこそ、一瞬一瞬
やそのプロセスが大切になってくる、ということなのでしょうか…。


■ 喪失感の正体と再生への道

「喪失感」は、対象に対して「愛情」があるからこそ引き起こされる感情
とも言えますが、一方では、ある種の「依存心」や「執着心」の反動の場
合もあります。

今まで、あたり前のように近くにいた人が突然いなくなると、いかに自分
がその人に頼っていたかという自分の「依存心」の存在に気ずかされるこ
とがあります。そして、その人を取り戻したいという気持ちは、ある種の
「執着心」とも言えます。もちろん、人間である以上、「依存心」や
「執着心」があって当然なのですが、それらがエスカレートしすぎること
によって起こるさまざまな問題は、自己中心的な「愛情」が形を変えて歪
んでしまった結果の場合もあります。

また、人間の持つ「恐怖心」は、結局「何かを失なうことに対する怖れ」
つまり「喪失の恐怖」であるということも、「喪失感」を考える中で浮か
び上がってきました。以前、「恐怖の本質〜黒沢清」の回で、「恐怖」は
結局は「死」に対する怖れである、と書きましたが、それは自分自身も含
めた「喪失の恐怖」である、とも言えます。実際の「喪失」によって、
「恐怖」は「悲しみ」に変化し、さらに「怒り」や「憎しみ」へと転化さ
れていくよう、人間の感情は常に形を変えながら、人間の行動に影響を与
えていることがわかります。

「喪失がもたらすもの」として、そうした自分の心や感情の状態に気づく
機会を与えられる、ということがあるとしたら、「喪失」によるそうした
「気づき」も、生きている以上、何度かは経験しなければならない大切な
機会のようにも思えてきます。「喪失感」こそ、人生に深みを与える人間
にとって大きな試練である、と冷静にとえらることができれば、癒しから
再生〜復活への道に進んでいけるような気がしました。

映像表現における「喪失」というテーマは、多分そうした普遍的な気づき
を観る人に伝えるための、大切なモチーフであるように思えます。

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■ 今回のまとめ

・人間の喪失感が生み出す心の葛藤は、物語における普遍的テーマでもある
・映像は、ことばで表現できない微妙なニュアンスを伝達する手段でもある
・喪失感を描いた作品は、観るものにある種の気づきを与えてくれる
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★ アトム・エゴヤン 関連サイト
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◆ Ego Film Arts
┗ http://www.egofilmarts.com/
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◆「スイート・ヒアアフター」(1997)
┗ http://www.sankei.co.jp/mov/review/98/sweethereafter/
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◆「フェリシアの旅」(2000)
┗ http://www.eiga.com/review/felisia.shtml
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【PROFILE】 尾崎英明  [ GAUCHO ]
 http://www.gaucho.com/  mailto:gaucho@hal.ne.jp
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『ちょっと知っておきたいコミュニケーションデザイン』
  「いいWebデザインを考えよう〜『わかりにくさ』の裏を知る〜」
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みなさん、こういう経験はないでしょうか?はじめての土地で道を聞いた。
地元の人は、スラスラと簡単そうに説明してくれるが、どうにもわからない。
えっと、信号の次の三叉路をどうすんだっけ?・・・。決して、説明がぶっき
らぼうだったり不親切だったわけではなにのに。それどころか親身になって時
間を割いてくれたのに。なのに、なのに、なのに・・・頭にはスラスラとは入
ってこなかった経験。あるでしょう?


■ 情報の把握能力に差があるとき、『わかりにくさ』が生まれる。

そもそも、なぜ『わからない』のでしょうか?教えている方は、よく道順を熟知
している人。説明があやふやになることはまずありません。しかし、理由はまさ
にそこにあります。教える側は既に知っていることばかりですが、聞く側はまだ
何も知りません。把握している情報量に圧倒的な差があるため、お互いの求める
『わかりやすさ』の価値観が異なり、うまくコミュニケートできないのですね。


■ ”みんなにわかりやすいWebサイト”がなくなってゆく理由。

さて、Webサイト。わかりやすいサイトもあれば、そうでないものもある。おそ
らく事実です。しかし、誰にでもわかりやすいサイトはそうありません。
また逆もしかりです。

Webサイトはパソコンを使うという、もともと自分本位な動作を促進させるよう
な環境の中で産声をあげました。ユーザの自主的な操作は広く許されており、テ
レビなどとは決定的に違うところです。各自の意志や価値観がどんどん表に出て
くると、普遍的な「わかりやすさ」は反比例して縮小してゆく。「みんなにわか
りやすい」は、本質的に矛盾しているとさえ言えるでしょう。


■ たとえばオバサンの場合。

やや古い記事(2002年5月)ですが、オバサン(失礼)のWeb利用について触れた
ものがあります。

・オバサンがEコマースに求めるもの
http://japan.internet.com/wmnews/20020523/1.html

ちなみに、私の『わかりやすい』概念はことごとく裏切られてゆきました。つい
数年前まで「こんな不親切なつくりは止めようよ」と、注意していたことと逆の
内容が支持されているのです。いつ、彼女たちを相手に仕事をするやもしれませ
ん。そう考えるとややコワイ。Webターゲット把握への関心も自然高まります。

しかし、ことWebデザインをする場合は、彼女たちのこうした動向を知識として
知っているだけでは不十分です。求められるのは、ちゃんと対応できること、
相手になれることでしょう。


■ 見えてくる。隠れた『良いデザイン』。

たまに大きなフォントサイズを使用しているサイトを見たりすると、ブラウザ越
しの大事なサイトユーザをよく理解した上でやっているのだろう、と考えること
があります。たしかに、けっしてスマートな見栄えではありません。しかし、仮
に読みやすくて安心した、という笑顔のユーザへ誠実に配慮しているとしたら、
とても良いデザインと言えます。


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■ 今回のまとめ

・『わかりにくさ』が生まれるメカニズムを知っておきたい。
・デザインがコミュニケーションを促進させることを忘れないようにしたい。
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【PROFILE】 井浦むつお  [ 有限会社ヒキダス ]
 http://www.hikidas.com/  mailto:iura@hikidas.com
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『ブランディングとWEB』
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『ブランディングとWEB』は、都合により今月はお休みさせていただきます。
来月号(11月7日発行予定)で2回分掲載させていただく予定です。
                      山下マモル [ 空想屋 ]
 
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『編集後記』
  「11'09''01/セプテンバー11」
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 先月の9月11日に、ご覧になった方も多いかと思いますが、
「9月11日とその前後についての11分9秒1フレーム(事件の日と同じ数字の並び
 となる11'09''01)の映画を作る。」という企画のもとに、世界の11人の映画
監督が参加したプロジェクト「セプテンバー11」という短編オムニバス映画
が、9月11日、スカパーなど、さまざまなメディアで一斉に公開されました。
 ┗ http://www.tfc.co.jp/news/020820.html

アラン・ブリガン、という作家であり、芸術プロデューサーの方の発案の企画で
ベネチア国際映画祭やトロント国際映画祭などでも特別上映された作品とのこと
です。わたしは、スカパーのスター・チャンネルでの放送を録画したものを観た
のですが、「久々に強烈なものを観た」という印象が残っています。
そして「喪失がもたらすもの」の大きさについても考えさせられました。

参加した11人の監督をご紹介しておきますと、
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   監督名       出身国       代表作
● サミラ・マフマルバフ (イラン)   「ブラックボード/背負う人」
● クロード・ルルーシュ (フランス)  「男と女」「白い恋人たち」
● ユーセフ・シャヒーン (エジプト)  「炎のアンダルシア」
● ダニス・タノヴィッチ (ボスニア=ヘルツェゴビナ)
                    「ノー・マンズ・ランド」
● イドリッサ・ウェドラオゴ (ブルキナファソ)   「ヤーバ」「掟」
● ケン・ローチ (イギリス)      「カルラの歌」「大地と自由」
● アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ (メキシコ)
                    「アモーレス・ペロス」
● アモス・ギタイ (イスラエル)    「キプールの記憶」
● ミラ・ナイール (インド)      「モンスーン・ウエディング」
● ショーン・ペン (アメリカ)     「プレッジ」
● 今村昌平 (日本)          「うなぎ」、「黒い雨」
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どの作品もそれぞれの視点で、とてもすばらしかったのですが、個人的には、
「アモーレス・ペロス」で一躍世界的に有名になり、BMW Filmにも作品を提供
しているメキシコのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の作品が
特に強烈でした。サブリミナル的に観せるショッキングな映像(落下シーン)
と、当時の状況を想起させるような生々しい音響を組み合わせた、不安感と
恐怖感をかきたてられるような表現は、かすかな視覚情報のみで、まさにその
現場にいるような錯覚を体感させられます。映像作品なのに、あえて映像を
チラッとしか見せず、むしろ聴覚に訴えかける手法は、見えないことや音の
もつ恐怖感を再認識させる映像表現でした。
" Does God's light guide us or blind us ? " というメッセージを視覚化
した、終盤の闇から光への変化が、作者の祈りに近い想いを象徴しているよ
うでした。

また、一番最初のイランのサミラ・マフマルバフの作品も考えさせられる作
品でした。教師と子供の話がかみあわないところは、ある種の文明の違いを
象徴しているようでもあり、高層ビルや携帯電話さえも見たことのない難民
キャンプの子供たちに、ビルが崩れましたとか、携帯電話で多くの人が助け
を求めました、といっても、全く意味が伝わらないシーンは、ある種のユー
モアに包みこまれながらも、文明の落差を感じざるおえない複雑な想いがよ
ぎるシーンでした。

また、俳優でもあるショーン・ペン監督の作品は、暗いアパートに住む孤独
な老人の話なのですが、ラストのオチには、ウ〜ンすごい、と唸らされました。
喜びと悲しみが表裏一体となったラストシーンは、この世界が人間の心の
反映であることを再認識させてくれます。光と影の関係をここまで見事に映像
化した作品は、そんなに多くないと思います。

これらの作品を観て個人的に思ったのは、映像作家や映画監督になりたい人
たちの夢って、多分いつかはこういったプロジェクトに参加できるようにな
ること、なのではないのかな、というようなことでした。
と同時に、映像表現というものの持つメッセージを伝える力の大きさと制作者
の魂の叫びのようなものが伝わってくる作品群でした。

最後までご覧になっていただき、ありがとうございました。
次回は、11月7日発行の予定です。

====== WEB DESIGNERS MAGAZINE 『GAUZINE』 ==========================
 発 行    GAUZINE NET  [ http://www.gaucho.com/gauzine/ ]
 編 集    尾崎 英明  [ mailto:gaucho@hal.ne.jp ]
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